大判例

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東京地方裁判所 昭和21年(ハ)241号 判決

原告 藤野隆三

被告 内海頴二

一、主  文

被告は原告に対し東京都中央區日本橋江戸橋一丁目十五番地鉄筋コンクリート造四階建地下一階付事務所壱棟の内三階向つて右側より第一室目八坪五合を明渡せ。

被告は原告に対し昭和廿一年八月一日以降明渡済に至る迄一ケ月金五十五円の割合による金員を支拂へ。

訴訟費用は被告の負担とする。

本判決は原告に於て執行前金一萬円の担保を供するときは仮に執行することができる。

二、事  実

原告訴訟代理人は主文第一、二、三項同趣旨の判決並に担保を條件とする仮執行の宣言を求めその請求の原因として請求の趣旨記載のビルはもと訴外北海道拓殖銀行の所有であつて被告は同銀行から期限の定めなく賃料一ケ月五十五円毎月末拂の約で前記主文第一項表示の一室を賃借した原告は実業家であつて自己及其の傘下の各会社の事務所に該ビル全部を使用する目的で昭和廿一年一月十五日右銀行から買入れその所有権を取得した所有権移轉登記は昭和廿二年三月十五日に完了し同時に該賃貸借上の地位を承継した本件建物の全部は貸事務所として使用すべく諸設備をして居るのであつて居住のための設備は何にも無い。にも拘らず被告は該貸室を擅に改造して現に家族と共に住居として使用してゐるために原告は之が爲め多大の負担をして居る。即ち被告が本件賃貸借の本旨に随つて單に事務所として使用すれば原告は多くの費用は要せないのであるが被告が住居として使用する爲炊事用の電熱を使用することに依りその使用量は一ケ月数百円に及び水道料も炊事のために使用する料金は多大である。又被告が事務所として使用すれば毎日午後五時の定時に閉鎖するから格別の管理費用は要せないが被告が住居として使用してゐるために原告は該建物の夜間の管理の爲特別に使用人を一人雇入れて夜間の戸締等の管理を爲さしめてゐる之が爲原告は一ケ月金六千円の支出をして居る叙上の如く被告は本件貸室を事務所として使用する目的を以て賃貸借契約を締結したに拘らず現在は勝手に之を住居に使用してゐるのみならず、本件賃貸借の賃料以上に原告に損害を加へられても原告は尚之れを忍はなければならない義務はない。依て原告は右の如く本件建物を買受けた当初の目的の如く之を使用する必要があるから右の事実と相俟て本件貸室に対する賃貸借契約を解約するにつき正当の理由があるから本件訴状の送達を以て解約の申入れをなしたから右の送達の翌日から六ケ月の告知期間の経過により本件賃貸借は終了したから本件貸室の明渡を求めると述べ被告の抗弁事実を否認した。<立証省略>

被告訴訟代理人は原告の請求を棄却するとの判決を求め答弁として本件建物がもと北海道拓殖銀行の所有であつて被告が同銀行から原告主張の如き約旨で原告主張の一室を賃借した事本件貸室を被告が現在妻子と共に住居として使用してゐること及原告が本件ビルの所有権移轉登記手続をしたことは認めるがその余の事実は不知である。

被告は昭和二年九月中当時の本件ビル所有者北海道銀行(後に北海道拓殖銀行に合併)から本件貸室一室を賃借し以來毎月遅滞なく室料を支拂ひ永年平穏裡に証券仲介業の営業を続けて來たのであるが昭和二十年四月十三日夜の空襲のため当時の被告の住居であつた牛込區富久町の住宅が罹災し已むを得ず当時の所有者北海道銀行の承諾を得て本件貸室を住居として使用する事となり爾來狹隘な一室に家族が生活してゐるのであるが原告はその住家を所有してゐる許りでなくその傘下各会社の事務所も安定してゐるに拘らず借家拂底して移轉し得ぬことを承知の上本件建物を買取つたものであつて被告は他に移轉したいにも移るべき建物のない現状に於て賃借人に明渡を強制して其生活を脅かすようなことは賃貸借契約に於ける解約権の濫用である仮にそうでないとしても原告の解約の正当の理由として主張する事実は住宅が極端に拂底してゐる現状の下にあつては借家法に所謂賃貸借を解約するに付ての正当の理由とはならないと述べた。<立証省略>

三、理  由

被告が本件建物の前所有者北海道拓殖銀行から該ビルの中主文表示の一室を原告主張の如き約旨で賃借したことは当事者間に爭なく、証人宮本正明の証言に依れば原告は該建物全部を昭和二十一年一月十五日右北海道拓殖銀行から買受けた事は明瞭であつて昭和廿二年三月十五日原告が右建物に付て所有権移轉登記手続を完了したことは当事者間に爭がない。

而して成立に爭ない甲第一號証に依れば被告は昭和二十一年二月二十七日に原告宛同年一月分乃至三月分迄の本件賃貸借に依る賃料を供託した事が明であるから之れに拠ると被告は原告が本件建物を前所有者から買受後その所有権移轉登記未了中に既に原告が本件建物の所有者となつた事及本件貸室の賃貸人となつた事を認めていた事が明である。依て原告の前記本件賃貸借契約に対する解約の主張の当否に付て審究するに原告主張の本件訴状の記載に依れば該訴状には原告の被告に対する本件賃貸借契約を解約する旨の意思表示が包含している事が明であるから右訴状が被告に送還された昭和二十一年八月五日に原告の被告に対する本件賃貸借の解約の意思表示が爲されたものと謂はねばならない。

被告は原告の前記本件賃貸借に対する解約権の行使は権利の濫用であるから無效であると主張するから原告の右解約権が適当に行使されたかどうかの方面から考てみるに被告主張の如き事情の下に原告が本件解約権を行使したとせば或は濫用であると言ひ得ざるにあらざるも後記認定の如く被告の全立証に依るも被告主張の如き事実を確認し得ないから原告の本件解約権の行使が濫用であるとは言ひ得ない、その他原告の右権利の行使に付て道徳的に考察しても又経済的並に社会的使命からその價値判断をしても之を濫用であるとは断定し難いから此の点の被告の主張は結局被告の独自の見解として当裁判所は之を採用しない。

依て次に原告の右本件賃貸借の解約は借家法第一條の二の所謂正当の事由があるかどうかに付て稽ふるに証人宮本正明同中村卓郎の各証言、原告本人訊問の結果に徴すると原告は終戰前迄は大阪の朝日ビル内に本拠を置いて水産、倉庫等の各事業を個人で経営して來たが右朝日ビルが戰災を受けたので終戰後は右事業の本拠を東京に移す爲本件建物を前所有者から買受け且前記個人経営の事業を各会社組織に変更して北進漁業株式会社鱒浦漁業株式会社、又十倉庫株式会社を各設立し右会社は孰れも本店は北海道にあるも東京支店の事務所又は営業所を本件建物内に置き被告の本件貸室は右鱒浦漁業株式会社の東京支店の事務室に使用せしめんとする予定であつて右鱒浦漁業会社は本支店を併せて事務員十名位である事が認められる而して当裁判所の檢証の結果に依れば右鱒浦漁業会社は目下本件建物内の他会社の事務室を共同使用して居る事が明であるからその事業の遂行上多少不便である事は窺知する事ができるが右会社の東京支店が本件貸室を專用する事ができないために同会社延いてはその経営者である原告の経済的存立を危くするといふが如き緊迫した事情は原告の全立証に依るも毫も確認し得ないから原告の関係会社である右会社の事務所用として使用せんとする前叙認定の必要性の程度では現在の東京都に於ける社会情勢に鑑み原告に未だ本件貸室に対する解約権を行使する正当の事由ありとは謂ひ得ないものと解するを相当とする。

更に原告は被告が本件貸室を契約に依る使用目的を変更して住居として使用して居る事を本件解約権行使の正当の事由の一として主張するから此点に付て考察するに当裁判所の檢証の結果に拠れば本件建物は事務所用の所謂ビルデングであつて住居用の所謂アパート式建築でない事は一見明白である。右の事実と証人中村卓郎の証言及被告本人の供述(第一回)に依れば被告は昭和九年頃から原告の前主と本件貸室を事務所用として使用する目的で賃貸借契約を結び爾來被告は同室を專ら証券仲介業の営業所として使用して來たが被告の住宅が昭和二十年四月十三日の空襲で罹災した爲被告は原告の前主の諒解を得た上同年八月頃より家族(妻と息子)と共に本件貸室を住居として使用し現在に至つた事を認める事ができる、併し証人中沢彦太郎の証言に依ると原告の前主である北海道拓殖銀行が被告に右の如く本件貸室を住居として使用する事を承諾したのは當事者間で本件貸室の使用目的を右の如く変更する趣旨ではなく昭和二十年八月の終戰前後に於ける東京都の全面的に亘る戰災に因り極度の住宅等の建物の拂底していた当時の事とて恰も被告が住宅を罹災して家族と共にその住居に困惑していた特別の事情から右拓銀の係員が之に同情して臨機の処置として被告の住居としての一時的使用を容認するに至つた経緯を認める事ができる。右認定と牴触する被告本人の供述(第二回)部分は採用しない從つて右の拓銀の賃貸人としての処置は終戰前後の諸情勢に鑑み賃借人に対し洵に信義に基いて爲した当然の事であると謂はねばならぬから賃借人たる被告も之に報ゆる爲誠実に右の趣旨に遵ふのか信義誠実の原則上当然の筋合であると謂ふ可き処当裁判所の檢証の結果並前掲中村証人の証言及被告本人の供述(第二回)並原告本人の供述及成立に爭なき甲第二号乃至第四号証を綜合すると被告が本件貸室を住居として使用している爲原告は本件建物の出入口を夜間も閉鎖する事ができない爲本件建物内の防犯等の必要上昭和二十三年十月以降は特に夜間の宿直員を宿泊させ、その手当及夜食代として一ケ月六千円位を支出し且電燈料も特に被告が住居としての必要上夜間六十ワツト二個四十ワツト一個を使用し電熱器も三個を時偶使用し、水道料も炊事用に使用する結果右の諸費用は裕に本件賃料一ケ月金五十五円の数十倍の支出を余儀なくし然も本件建物内の他の事務所用の室は整然として清潔に使用し他の共同使用者に何等の迷惑を及さざるに拘らず被告は本件貸室内に食糧家具炊事道具類は勿論の事、炭、煉炭、薪等迄持ち込み雜然として本件貸室を住居並事務室として使用している結果同一建物内で廊下を共通にし且壁を距たてた他の共同使用者に対し非常に有形無形の迷惑を與へている事が明瞭である。

而も被告本人の供述に依ると被告は前叙の事情に関しては毫も介意する処なく只單に前賃貸人から前叙の如く同意を得て住居に使用しているからとて本件貸室を住居として使用する事を停止せしむとする意図は毛頭ない事が認られる。尚被告は本件建物内に住居して居る者は被告のみではないと主張するけれ共証人太田茂の証言に依ると同人は單に本件建物の四階の賃借人の諒解を得て恣にその事務室の机を利用して其処に起居して居るといふに止つて原告との間に何等右の住居を目的とする賃貸借関係を結でいる訳でない事が明かであるからこの事実のみを以ては被告の本件貸室を住居として使用する事を正当視する根拠とするに足りない。

仍て思ふに被告が前叙の如く前賃貸人が戰災直後の東京都内の社会的混乱時代に一時的処置として被告をして住居としての使用する事を容認したのを奇貨として却て被告が之に藉口し終戰後既に四年有余を閲し現在住宅は依然として拂底であるとは言へ証人柳原隼作の証言に依り明な如く原告は被告の移轉の爲めには之れに要する相当の費用を支出せんとする意図のある事が認められるから被告が誠意を以て事に当らば自ら解決の途なしとは言へないにも係らず他に住宅を求めて一日も早く賃貸人たる原告に対する前叙の如き迷惑を軽減せむとする誠意の如き全然なく依然として本件貸室を住居としての使用を継続せむとするは賃借人として一種の使用收益権の濫用であると断ずるの外ない左すれば右は民法第六百十六條に依つて賃貸借に準用する民法第五百九十四條第一項の所謂契約に定められた目的物の用方に從つて使用收益しないのであるから賃貸人は民法第五百四十一條に基き右契約違反行爲の停止を催告し之に應ぜない場合は本件賃貸借契約を解約する事ができる事は当然であるが原告は敢て之れに拠らず寛容の方法を採り右違反行爲を停止する意図のない前叙の如き非協調的の賃借人に対しては最早同一建物内で互讓の精神に基いて共同使用関係を継続する事ができないとして本件賃貸借関係を全面的に終了せしめんとするは本件建物の賃貸人として洵に已を得ざる処置と謂はざるを得ない從つて叙上説示した諸事情の下にあつて右原告主張に係る事由は借家法に所謂賃貸借を解約するについて正当の事由あるものと当裁判所は判定する。

仍て原告から被告に対し本件賃貸借の解約の意思表示の到達した昭和二十一年八月五日から六ケ月の告知期間の終了した昭和二十二年二月五日を以て本件賃貸借は終了したものと謂はねばならない故被告は原告に対し本件貸室を明渡す義務があると同時に原告主張の昭和二十一年八月一日以降右明渡済迄本件賃料並賃料相当の損害金(解約後)一ケ月金五十五円の割合の金額の支拂義務がある事は当然であるから原告の本訴請求を正当として認容し民事訴訟法第八十九條、第百九十六條を各適用し主文の如く判決する。

(裁判官 佐野英雄)

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